行くぜ、東北。JOURNAL
No.001 2019.10.28
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民話の里・遠野でカッパを捕獲? カッパおじさんに会いに行く。

民話のふるさと、岩手県遠野。
遠野の民話の中でもオシラサマ、座敷童子、そしてカッパは三大話として知られている。
架空の生き物として語られることが多いカッパ。
しかし、遠野の「カッパ淵」では、カッパを見た人がいるという。
カッパは架空の生き物ではなく、この世に生息しているのか。
カッパ淵の守っ人(まぶりっと:守る人という意味)、カッパおじさんに話を聞いた。

※ 遠野市土淵にあるカッパ淵にて。

JR遠野駅に到着。さっそくカッパが出迎えてくれた。
※ JR遠野駅前の広場でカッパを発見。
JR遠野駅を出てすぐの遠野観光協会に聞くと、
「この辺にもカッパがたくさんいますよ」とのこと。
※ 駅前のポストの上にもカッパが。
※ 交番までカッパ。
カッパおじさんに会いたくて、伝承園へ。
※ JR遠野駅から車で10分ほど、伝承園に到着。
伝承園はかつての遠野の農家の暮らしを再現した施設。
園内は、曲り屋や雪隠(せっちん)・湯殿(ゆどの)、水車小屋や炭窯といった、古民家は民話の風景そのもの。
まるで時空を超えて来たような不思議な錯覚に陥る。
※ 伝承園への入場口。
売店にいるスタッフに、カッパ淵を案内してほしい旨を伝えると、

「今日は雨が降りそうだから、どうぞカッパのお皿をかぶって行って。子供用のかわいいお皿もあるんですよ」
と、お皿(麦わら帽)を見せてくれた。
※ カッパのお皿は無料で借りられる。
お皿はスタッフの手作り。キュウリの餌がついた釣竿もある。
売店でカッパ捕獲許可証を手に入れ、釣竿を持ってお皿をかぶると、なんだかカッパに会えそうな気がしてきた。
※ 売店で捕獲許可証を手に入れた。
ついに、カッパおじさんが登場!
※ 笑顔がやさしいカッパおじさん。
作業着に長靴、麦わら帽をかぶり、腰に魚籠を下げ、手には釣竿。もちろん釣竿の先には餌のキュウリが。

「変なおじさんじゃないよ、カッパおじさんだよ」
と、名刺を差し出すカッパおじさん。
優しい笑顔にすっかり心を掴まれ、カッパ淵への道中に期待が膨らむ。

「今日はカッパさんいるがなぁ。昨日、雨降ってらったがらなぁ」
雨が降った翌日ということで、どうやら期待大。
カッパを釣る気満々の出で立ちのカッパおじさんとともに、いざ、カッパ淵へ。
カッパ淵に行く途中、カッパ狛犬のある常堅寺に立ち寄る。
※ カッパ狛犬の頭のお皿には水が入っていた。
カッパ淵に行く途中の常堅寺に、頭にお皿がある珍しい狛犬がある。

昔、お寺が火事になった時、カッパがお皿の水で火を消してくれたのだとか。
カッパを助けたことがある和尚さんは「恩返しに来てくれたんだなぁ」と思い、後の世も人々に手を合わせてもらえるようにと、カッパの狛犬を作ったという。
カッパの気配を感じる⁉ カッパ淵に足を踏み入れた。
※ 急にカッパおじさんの歩みが早くなる。
「ややっ」

急にカッパおじさんの歩みが早くなる。
仕掛けておいた餌(キュウリ)が、なくなっていると言う。
カッパは掛かっておらず、少し悔しそうなカッパおじさん。
我々もキュウリの餌をつけた釣り糸を垂らし、カッパを釣ろうと試みた。

「今、引いだんでねが?」

キュウリが上下に動くのを見逃さないカッパおじさん。
この後も、カッパは釣れなかった。
実は二代目だったカッパおじさん。先代との思い出話をしばし聞く。
※ 祠の中の初代カッパじいさんの写真。
実はカッパおじさんは、二代目。
初代のカッパじいさんは、阿部與市(よいち)さんという人だ。

與市さんは、このカッパ淵で、カッパを2体見た。
5、6歳くらいの背格好で、赤い顔をしていたという。

カッパを見たという話が広がると、興味を持った人々がカッパ淵を訪れるようになった。

サービス精神旺盛な與市さんは、カッパ淵のベンチに腰掛け、訪れた人にカッパの話をした。
與市さんの話が面白いと評判になり、ますます訪れる人が増えていったという。
たちまちカッパ淵は、遠野の観光名所になった。
※ 初代カッパじいさん(右)と二代目カッパおじさん(左)。
ところが、高齢の與市さんは、毎日カッパ淵に座っていられる訳ではない。
訪れる人が減ってしまうことを心配した地元の人たちは、與市さんの代わりとなる人はいないものかと、考えた。
そして白羽の矢が立ったのが、二代目となる運萬治男(うんまんはるお)さんだった。

「座っているだけでいいから」と、最初は何をするのかも知らずに代役を務めたという。
人のいい運萬さんは、地域のためを思うと断れず、仕事を休んでは駆けつける日々が続いた。

たまたま、初代と運萬さんのおじいさんが知り合いだったことで、二代目のお墨付きをもらう。
そして正式に「修行」を始め、平成14年に二代目カッパおじさんを襲名した。
カッパは今もこの世にいる! 二代目は捕獲できたのか
※ カッパ淵の守りっ人、二代目カッパおじさん。
(二代目カッパおじさん)「皿っこあったが?」
(初代カッパじいさん)「あったども、水っこ無がったど」

初代と二代目がカッパ談義をする姿は、カッパ淵の名物になった。

「日本全国に、いろんなカッパの伝説があって『カッパの皿が見つかった』『カッパのミイラが見つかった』という話がある。だけど、遠野にはその証拠がない。証拠がないなら、生きているんだべ〜。だば、釣ってみるが?」

そんな掛け合いから、運萬さんは現在のカッパおじさんのスタイルで、カッパの話を伝えるようになった。
初代はカッパを「見た人」ですが、二代目カッパおじさんのコンセプトは「カッパを釣る人」なのだとか。
※ 第1号「カッパ捕獲許可証」はカッパおじさんの証明書でもある。
代役から始まった二代目カッパおじさんも、今では伝承園の職員。
「カッパおじさん」の肩書で、カッパ淵のガイドをしている。

ここだけの話だが、カッパおじさんは未だカッパを捕まえたことがないらしい。
初代カッパじいさんとカッパ淵との関連が明らかに
※ カッパ淵でキュウリを餌にカッパを待つ、カッパおじさん。
実は、常堅寺の裏にあるカッパ淵は、蓮池川(はせきがわ)という人口の川だ。

ここの長者様だった安倍家は、昔、村の貧しい人たちに仕事を与え、汗水垂らして仕事をした人たちに、その日生き延びるための食糧を分けてあげたという。
その仕事が蓮池川の工事だった。
今も、カッパ淵のある蓮池川は、安倍家(現在は「阿部」)の私有地。
つまり、初代がカッパを見たのは、自分の敷地内ということになる。
初代カッパじいさん・阿部與市さんは、実は安倍家28代目の当主だったのだ。
カッパ淵にたたずむ小さな祠が意味するのは
※ カッパ淵の祠には今も「お乳」が奉納されている。
カッパ淵の小さな祠は、「乳神様(ちちがみさま)」といい、今でも布で作ったお乳が祀られている。

かつて村人が貧しかった頃、栄養失調などで我が子に十分な乳を与えられない母親が、乳神様に願をかけたという。
この布のお乳の中には、お米や豆などの食糧が入っており、村人は藁にもすがる想いで布の
お乳を持って帰り、その中の食料で空腹をしのいだという。

この乳神さまに食糧を入れていたのも安倍家だった。
安倍家はとても慈悲深い長者様だったのだ。

とても貧しく食糧難でもあった、昔の遠野の暮らし。
民話で語られるカッパの話の背景には、辛く厳しい実話があったのだ。
先人たちの生き様に耳を傾け、遠野の魅力を知ることが大切なんだ。
※ 今を生きる私たちの心に響く、カッパおじさんの話。
遠野物語には、カッパの話がいくつも出てくる。
カッパおじさんは「遠野は耳で見る観光」だという。
民話を聞くと、当時の暮らしぶりが目に浮かぶようで、心に響いてくる。

「遠野に足を運んでもらったら『貧しくて自然の厳しいところでも、こうして生きてきたんだよ。みんなも頑張るべしな』ということをちゃんと伝えたいって思っているの。命の大切さを次の時代に伝えることが、カッパさんを無駄死にさせないことになるから」
と、カッパおじさんは話す。
民話は語り継いできたもの。
苦しくても精一杯生きた昔の人の生き様を、現代を生きる私たちに教えてくれる。「命は大切だ」と。
※ カッパ淵のカッパ像には、今もお供えがある。
カッパおじさんが、カッパのことを「カッパさん」と呼ぶのには、深い訳があるのだ。

実際にあった話を、自分の子や孫に伝え「今よりいい暮らしをさせたい」という親の想いが民話となり、今に語り継がれてきた。

「あなたたちがここに来たのも、カッパさんが呼んだんだよ」

遠野の人にとって、カッパさんは今も生きている。
話を聞くほどに、また訪ねたくなるのが、遠野なのだ。