行くぜ、東北。JOURNAL
No.016 2020.3.31
食べる

リンゴじゃなくて、バナナ!? 弘前市民が愛する懐かしの味

「バナナ最中」は、バナナ風味の白餡を挟んだ、バナナの形の最中。大正時代に青森県弘前市の菓子職人が考案し、その弟子たちが津軽地方の各地に広めたといわれており、今でも弘前を中心とした青森県西部の十数店舗ほどの菓子店で製造・販売されている。国内有数のリンゴの産地でありながら、なぜバナナなのだろう? 食べ歩きをしながら、その味を今に伝える職人たちからバナナ最中への思いを聞いてみた。

果物のバナナを模した「バナナ最中」。青森県弘前市で生まれ、津軽各地に広まった

懐かしのバナナ最中を訪ね「いなみや菓子店」へ
弘前市富田にある「いなみや菓子店」は1905(明治38)年から続く老舗
最初に訪ねたのは、市の中心街にある「弘前駅」から歩いて15分ほどの場所にある「いなみや菓子店」。この店の近くに親戚の家があり、幼少の頃、遊びに行くといつもテーブルの上にバナナ最中(いなみやバナナ)が用意されていたのを鮮明に覚えていたことから、自然と足が向いた。幼少期に覚えた味の記憶はいつまでも消えない。このエピソードのように、地元民それぞれに、なじみのバナナ最中があると思われる。
四代目の稲見茂男さん。東京の和菓子店で18年修行したのち、この店を継いだ
四代目の稲見茂男さんに話を聞く。茂男さんによると、その昔、弘前市の菓子屋では、その年の勅題にちなむ新菓子を作る慣習があったという。そのなかで、二代目・與次郎(よじろう)さんが新しいものを取り入れようと上京。新橋から大阪に向かう夜汽車で、紳士が食べるバナナの香りに魅了されたという。そこで、当時は高価だったバナナをお菓子にして地元の人たちに食べさせたいと、バナナを模したお菓子を考案した。それが1916(大正5)年のこと。いなみや菓子店はかつて中心街だった富田大通りに面していたことから、将兵たちからも人気を集めたそうだ。
最中の皮にあんこを挟む作業はすべて手作業で行っている
二代目が亡くなったとき、妻のソヨさんが感覚で覚えていた味と食感を頼りに、三代目が再現。茂男さんも継承している。「店を継いでから味や製法を変えたお菓子はたくさんありますが、バナナ最中だけは当時のままです」と話す。「お客さまが育ててくれた味ですから。製法、味、包装も極力変えないで、地域のお菓子として守っていきたいですね」。
味の決め手は“あんこ”だという。「食感はもちろんですが、特にあんこに入れる香料は重要ですね。同業者と話していても、香料の話は気軽にしませんよ」と茂男さん。バナナの味を再現するための香料、つまりソヨさんと三代目がつないだ味は、いなみや菓子店に伝わる秘伝なのだ。
店内に飾られた昔の包装紙。店の看板であるいなみやバナナを大切に想う気持ちが伝わってくる
1個135円・税込。少し大きめのサイズと、しっかりとした甘味が特徴だ
「上品に割って食べるのではなく、バナナのようにガブッと食べてほしいですね」と、茂男さん。「津軽弁で『あげたにくっつく』って言うんですけど、最中の皮が口の中の上部にくっついちゃうような。『くっついてまった』(くっついてしまった)と言いながら、笑って食べてもらえると嬉しいです」。そう言われて、子どもの頃と同じようにかぶりついた。あげたにくっつく、懐かしい感覚。しっかりとした甘味はまさに、昔食べたいなみやバナナそのものだった。
青森では馴染みのなかったバナナを手軽に楽しんでもらいたいと考案した「旭松堂」
黒地にバナナの黄色が映える看板が印象的
次に訪ねたのは、弘前市鍛冶町の近くにある「旭松堂」。弘前らしくリンゴや桜が象られた掲示板が愛らしい、趣ある店構えだ。創業は1916(大正5)年。初代が作ったバナナ最中を継承している店だと聞く。
四代目の山本清寛さん。京都の和菓子店で修行し、23歳で故郷に戻った
笑顔で迎えてくれたのは、四代目の山本清寛さん。今では弘前名物となっているバナナ最中だが、「歴史的背景を知ることで食べるときの印象が変わってくる」と、バナナ最中の歴史の伝承も積極的に行っているという。
黒地にバナナのイラストは、店のトレードマークになっている
初代の山本万次郎さんは、原材料の仕入れで上京した際に、黄色くて三日月形をした高価な果物に人だかりができているのを目撃した。万次郎さん自身も初めて目にする果物。大金をはたいて購入して口にすると、これが驚くほどおいしい。そこで、高価なバナナの味を香料と白餡で再現したら喜んでもらえると思い、作ったのがバナナ最中だった。「地元の人も食べたことのない果物を、お菓子で再現し、それを広めたんですね。今でこそお菓子のほうが高くなっていますが、昭和40年代頃まではバナナはすごく高級だったから、手軽に買えるバナナ最中が人気だったんです」と清寛さんは話す。
お茶と一緒に至福のひととき
手のひらにちょこっとのる、愛らしさ。食べてみると、さわやかな香りが口中に広がった。すっきりしたあんこの味わいもいい。きっと、たくさんの人たちがこのお菓子を喜んで食べてきたことだろう。歴史を知って、当時に思いを馳せながら味わう。清寛さんが思う通り、それは食べ手の心に残る体験だった。
1個132円・税込。着色料無添加の白餡を使用した「旭松堂のバナナ」
リンゴでなく、バナナ。その理由は、人々の〝憧れ〟の対象だったから。
戦前から営業し、1958(昭和33)年に現在の場所へ移転した「富士見堂」
弘前の職人たちが苦心の末に作り出したバナナ最中。白餡のもちっとした食感とバナナを使わず再現した香料で、これほどまでにバナナを思わせる菓子を作ることができるとは。皆が本物のバナナの味を知る現代において、バナナ最中を初めて見て食べると驚くことだろう。一方で、地元の人には慣れ親しんだ懐かしい味である。その味が伝わった青森県西部の十数店舗で、現在も製造・販売されているようだ。もう1軒食べ歩こうと、青森市浪岡にある「富士見堂」へ足を運んだ。
現在は三代目夫婦が店を切り盛りする
現在は三代目の後藤明さんが店主。明さんの父である二代目は、いなみや菓子店で修行したという。そのときにバナナ最中の作り方を覚え、富士見堂でも販売するようになったそうだ。また、いなみや菓子店の三代目は、富士見堂の二代目のもとで修行している。そのときには富士見堂でいなみや菓子店用のバナナ最中のあんこを作っていたこともあるなど、交流が深い。バナナ最中を守るため、支えあってきた職人同士の想いがうかがえるエピソードだ。
随所に飾られたこぎん刺しが津軽らしい、富士見堂の店内
1個121円・税込。甘くさわやかなバナナ風味でおやつタイムにぴったり
富士見堂のバナナ最中は愛らしいコンパクトサイズ。あっさりとした甘味で、さわやかさが感じられた。どのバナナ最中もそうだが、サクサクな最中の皮との食感の組み合わせが絶妙である。
かつては気軽に口にできなかったバナナへの憧れから、弘前をはじめ津軽の人たちが好んできたバナナ最中。リンゴのように地場の特産品ではないことから、素材を「生かす」ではなく「模す」ことで味を生み、現代に受け継がれてきた。素朴でどこか懐かしい味わいのバナナ最中を調べてゆくと、店ごとに誕生エピソードがあり、職人たちの思いが詰まっていた。
「あげたにくっつけて食べたくなる」。弘前っ子を魅了しつづける銘菓である。

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